疎水記念館から東へすぐ、南禅寺のエリアに入る。美しい紅葉と水路閣の美観、境内無料の恩恵を受けないわけにはいかない。 

後醍醐天皇は南禅寺を五山の第一とした。

さらに時代は下り足利義満は自らの建立した相国寺を五山の第一とするために、南禅寺を「別格」として五山のさらに上に位置づけた。


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南禅寺前交差点の橋から南側を見下ろす。これが桜の名所で有名なインクライン、京都の歴史を語る上重要な史跡だ。 

京都水道局のインクラインと疎水の話↓



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南禅寺三門越しに見る南禅寺参道の紅葉。この三門は知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、京都三大門の一つに数えられている。




 

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三門の手前にあった森永杉洞(さんどう)自筆の句碑(1900~1975年没)

南禅寺派の高僧として南禅寺の管長となる資格を持ちながら、これを断り、故郷の伊万里市の禅寺円通寺の住職として生涯をおくる。

案内板にある「ホトトギス派」とは正岡子規亡きあと高浜虚子が中心となったグルー プ。

参考⊳近代俳人系譜

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南禅寺の境内の一番奥にある歴史的建築物の水路閣ともみじ。レンガと言うものは本当によく自然とマッチする。




🔹駒ヶ瀧本堂最勝院(高徳庵)

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駒ヶ瀧本堂最勝院(高徳庵)

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水路閣に沿って北に歩いていくと見えてくる。品のある寺構えだった。

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「縁結びの松」は百日紅の木の股に種が落ちて成長したという大変珍しいもの。

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落ちてきたもみじが宙に留まり浮いているように見える。おそらく蜘蛛の巣のおかげ。

南禅寺境内の東南の位置、高徳庵は観光客もあまり上がって来ない。紅葉ピークのこの時期でさえ、わずか数名の方とのみ境内を共有した。おだやかで実にいい場所だ。

  2011年12月6日 拝観


4週連続 京都の紅葉㉑12/6日の行程MAP



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