日本初の国立寺院「百済大寺」については謎のままであったが平成10年に、高さ100m級と推定される塔(九重の塔)の壇跡が見つかり、百済大寺は吉備池廃寺で間違いないと発表された。 すべてが解明されれば飛鳥時代の寺院として最大級となる。 詳細≫百済大寺と吉備池 

 

吉備池5

 

吉備池6

池の堤沿いにある比較的最近のものと思われる案内板。 車は北側の土手に停めて、反時計回りに吉備池を回ってみることにする。

 

吉備池2

北側の土手にある石仏 

 

吉備池3

堤の北西の隅に「百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」と悲運の人「大津皇子」の句碑が立つ。 ここ吉備池を磐余池という説もある。 参照≫吉備池は磐余池か?

 

吉備池

にここは西側の土手から東を見る。 前の山々は鳥見山で右側に走る山脈は多武峰連山へと繋がるはずだ。 

 

吉備池4

西側の堤の中央辺り、「うつそみの、人にある我れや、明日よりは、二上山(ふたかみやま)を、弟背(いろせ)と我が見む」とお姉さまの大伯皇女(おおくのひめみこ)が、謀反の疑いで処刑された大津皇子の遺体が二上山に移された時に詠んだ歌。 

吉備池の周囲、南側及び東側~北側にかけては、雑草の生い茂るただの池の様相。 まさかここが百済大寺の跡とは寂しい限りだ。  

 

                *

 

吉備池の北側に春日神社がある。 何か関連性は無いだろうかと... 調べてみればこの神社の地が聖徳太子の父・用明天皇が宮と定めた「磐余池辺双槻宮(いわれいけべのなみつきのみや)跡」という有力な説があることがわかった。 参考≫磐余池辺双槻宮跡

 

吉備池7

 

吉備池8

吉備春日神社とある。 御祭神は春日の神々に加えて「大津皇子」「天武天皇」が加わっている。

 

吉備池9

本殿

 

吉備池10

狛犬はしっかりと睨みをきかせている

神社の北側に大きな石碑が立っていて、『神武天皇即位前紀己未年(662年)の条に、『夫れ磐余の地の*舊の名は片居。亦は片立と曰ふ。我が皇師の虜を破るに逮りて、大軍集ひて其の地に満めり。因りて改めて號けて磐余とす。』 とここが磐余であると言っている。 少々難しい文面だ。 参照≫石碑の写真

*片居または片立と曰ふ・・・つまり一方は低地で一方は丘陵か山地のような地勢であるという意味。 

          *

磐余とは、現在の桜井市南西部の池之内、橋本、阿部から橿原市の東池尻町を含む同市南東部にかけての古地名である。 そしてそのあたりに吉備が見え隠れする。 

 

          平成23年7月26日 参拝

 

 

 

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