竹中半兵衛。6月13日が命日である。 

そのひと月ほど前にその終焉の地、三木市平井に行ってみた。

亡くなる一月前だとまだ半兵衛も少しは近くを歩かれたかもしれない。そんな創造をして同じ風景を歩いて、見てみたいと言う訳だ。

5月9日のこと。


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まずはかんたんに半兵衛の物語をこちらのサイトで見て欲しい。(非常に端的にまとめられてある)

旅 001
近畿自然歩道「竹中半兵衛の墓」の道標がある。

旅 002
両サイドの金網はなくして欲しいものだ 

旅 003
クスダマツメクサが参道をつくってくれている。

旅 004
お花の世話はどなたかが毎日されているのでしょうか 

旅 005

旅 006

旅 035
半兵衛のお墓から北へ数分、「平井本陣跡0.7km」の表示。そしてなんとも興ざめな「車両進入禁止」の立て札が...

三木の人たちにとってすれば秀吉側の本陣跡なんてどーでもよいらしい。おそらく 

旅 008
神額は落ちて鳥居の足に立てかけてある。なんて書いてあるんだろう? 読めない。 

旅 009
鳥居を潜って歩き出すと、一気に薄暗くなる。

木々が生い茂り、一歩進むごとに空気が変わっていく気がする。

旅 010
息を呑んで、足が止まった。不自然な石碑と静寂な嘉永池、そしてあざやかな緑。浮世ばなれの世界だ。

たった数分の山道が結界なのか?秘境だまさに!

 

旅 011
嘉永池 供養塚

きっと何か悲しいことがあったに違いない。 詳細は見つからない

旅 013

旅 014
左手には激しく成長した藤の木が花を咲かせている。(5月9日)

旅 017

旅 020

旅 024
美しいな、朝早く来てみたい、ちょっと怖いけど(笑)

旅 023
堤防を渡り終ええると、山道に入る

旅 028
石段の石は城石のようだ 

旅 029
新緑のドームをさらに登る 

旅 030
登りがひと段落、左手の金網は笹の進出を止める意味かな? 

旅 031
おっと、車道に出た。

旅 032

車道を横切りあと100m  

旅 033
ここから三木城は南西の方角、木々を掃えば見下ろせる位置だ。

旅 034

半兵衛の寝所は南のふもとだったのだろうか、そうだとすれば、この片道15分ほどの道のりを下り秀吉も半兵衛を見舞ったのだろうか。

⊳三木合戦の様子


とにかくこの三木合戦は秀吉にとって、最大の苦戦といわれる。

また天正6年、三木合戦の最中に茶人津田宗及(千利休、今井宗久とともに茶湯の三大宗匠のひとり)を招き、初めての茶会もとり行われた場所でもある。

そして半兵衛を失って「おさきまっくら~」と泣きじゃくった場所でもある。おそらく生涯忘れることのできなかった場所であっただろう。

半兵衛が目を持って選ばれ仕えた秀吉はやはり天下人の器だったのだろう。そんなことも考えてみた。

後日ずいぶんたってから分かったことだが、三木攻めからしばらく歴史は下り、戦火によりここから車で20分の位置にある淡河町南僧尾の観音堂の屋根が焼けたという。

そしてその修復の命を下したのが、ほかでもなく豊臣秀吉だった。↓淡河町南僧尾の観音堂の記録



  2011年5月8日 合掌



三木市平井  竹中半兵衛の終焉地~秀吉三木合戦 平井本陣跡 


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